人生に少しの刺激と安寧を

仕事とか家族とか子育てとか趣味とか独り言とかでできています。

仕事や学校が自分の全てという考えはさっさと捨てましょうという話

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昨今の働き方改革は一定の成果を挙げているように見える.

 

サービス残業を少なくしようという風潮は根付きつつあり,定時に帰っても東京の電車は満員ということもよくある.

 

パワハラセクハラは許されることなく,体育会系のような,役職が上のものは下のものよりも偉いという意識も大分変化が起きているようだ.

 

まるで部下を下僕のように扱うような年功序列を地で行く時代ではなくなり,役職はあくまで役職であり,求められている業務が違うだけ,という関係に変わってきた.

 

これらの変化は個人的にはとても喜ばしいことだが,対策が打たれるようになったのも様々なことが社会問題として挙がってきたからだ.

 

ブラック企業で働き過ぎで体を壊す,パワハラなどで最悪のケースまで追い詰められ手しまったケースなどが明るみになり大きく世論が動いたのである.

 

誰もが追い詰められることなく,人間らしく仕事ができる理想を叶える体制が整ってきたのは,このような悲しい事件があったことも忘れてはいけない.

 

だが一方で,なぜ人は最悪の事態に至るまで追い詰められてしまうのだろう.

どこにも逃げられないという錯覚が人の判断を狂わせる

文字どおり,追い詰められるというのは逃げる場所がどこにも無いということである.

 

自分が当事者でなければ,ブラックな環境で働く人の話を聞いたとき,労組に問題提起するか転職するかなど,妥当なアドバイスができるように感じるだろう.

 

しかし,その環境に身を置く当人からすれば,外からのアドバイスよりも,自分の属するコミュニティの言葉の方が重く受け止められてしまう.

 

一昔前は,一つの会社を定年まで勤めあげるのが理想とされていた.

 

これは逆に言えば,自分が属するコミュニティからは定年まで逃げられないことを意味する.

 

例えばあなたが終身雇用が当たり前の会社で営業部門に所属し,なかなか契約に結び付かず上司に罵詈雑言を浴びせられていたとしよう.

 

周りの同期は厳しい環境にも耐え,成果をだしているのに,自分だけそのような環境にいた時,あなたはどう思うだろうか.自分に才能が無いから,努力が足りないからとより自分を追い詰めてしまうのではないだろうか.

 

ある意味洗脳のような状態なのだが,単一の社会で生き,それが当たり前だと思ってしまう事はとても恐ろしいことだ.

 

最近は自分の属するコミュニティ外のことも,インターネットを通じて知ることが出来るようになってきたし.近年は終身雇用を保証できる会社がない為,そもそも転職も当たり前になってきた.

 

副業も解禁されてきて,稼ぐ手段も一つではないことが認知されてきた.

 

終身雇用を絶対正義のように語るような人もいるが,私自身は最近の会社と社員の関係性はとても好ましい.人間性は束縛されず,真に業務のみで結びついているのである.

 

愛社精神など会社が社員を都合よく使うための言葉に過ぎない.自分の意志でどこへでも行けるというのはとても気持ちが楽である.

 

では元をたどればこの同調圧力というか,輪を乱さず,周りの環境に合わせて生活することが大事という事はどこから教わっていただろうか.

 

もちろん家族というのが最初のコミュニティではあるだろうが,やはり他人と共同で生活することを学ぶのは学校である.

 

例えば中学校である.通常,中学生は学校と家庭の2つのコミュニティを行き来する.

 

ある生徒がクラスでいじめを受けたとしよう.

 

中学生にとって世界のすべては学校にある.その学校でハブられたり,いじめられたりしたら,自分が異端の存在で,周りが正しい,自分はこの世界で落ちこぼれなんだと追い詰められてしまう.

 

いじめばかりではない.日本の教育は全員で平均点を目指すような評価をする.

 

コミュニティの平均点を無理やり押しつけようとすることも少なくないだろう.

美術は天才的なのに,主要五科目ができなければ評価はされないも同然であることも珍しくない.

 

その子は自分の才能は社会では無価値だと感じてしまうかもしれない.

 

では,この子が中学だけでなく,他のコミュニティを知っていたらどうだろうか.

 

美術で生計を立てている人と実際に交流し,考えを共有し,自分が歩むべき道が見えている子であれば,多少中学で自分が周りの子と違うと感じていても,問題のない中学生活を送れるか,いじめにあいそうにあっても,すぐ逃げる準備ができるだろう.彼女にとって中学は世界の全てではなく,ただの通過点であることを認識できているのだから.

 

三つ子の魂百まで,とはいうが,三つ子とはいかずとも,中学生からは周りに合わせるという事よりも,ある程度自立することを教えるような教育システムにしてほしい.

 

中学を通過した後に何があるのか,そのために今は何をしているのか.そういうことを頭ごなしでなく教えてくれるような中学教育を望みたいものだ.

 

リソースや権限から現場の先生方ができることに限界があるのもわかっているし,皆が頭ごなしで指導していないことも存じているが,これからの社会は既に,周りと同じ道を歩めば安泰であるような時代ではない.教育も時代に応じて姿を変えていくことも,現場から発信してほしい.

 

さて,自分の人生一度しかないし,誰かの名言であるように配られたカードでしか勝負はできないのである.

 

他人の意見にばかり気を使うよりも,じっくり考えてみて自分の歩く道を決めてみよう.