しっかり研究で裏付けられた情報です,エビデンスが伴っています..ってそれ本当?
最近の健康ブーム,筋トレブームは一昔前とちょっと違うところがある.
それは情報の質を重要視してきたという点である.
ちょっと前までは健康ノウハウ本のような書籍を閲覧すると,その道の第一人者が自身の経験や考えに沿ってノウハウを伝えるものが多かった.
「私はトマトを食べ続けてウン十年,風邪など引いたことがない.見たまえこの著者近影を.流々とした筋肉,還暦を超えたとは思えない健康的な表情.全てはトマトが私の細胞のレベルを最大限に活性化し,ヒトとしての限界突破を可能にした結果だ..トマトこそ神の果実なり.トマトを食すのだぁぁぁぁ!」と,まぁちょっと誇張したがこんな感じだった.(※トマトは例に使っただけです.なんでもいいです.トマト好きな方にはすみません.)
最近の書籍はある程度論ずることに根拠を提示するようなものが増えている.
例えば,××大学の研究で□□を摂取した人は○○を発症するリスクが低下した..などという文を加えて自身の論拠としていることが多い.
これは自分だけの考えではなく,ある程度客観的事実に基づいてますよ,という事を示すことになり,読者も第三者が作った証拠があるということで著者の意見をスムーズに受け入れることができ,双方にメリットがある.
凄い本だと巻末にどの文章にどの文献を引用したかをかなり詳しく,大量に載せているものもあり,研究論文並みのものまで存在する.
では,研究や検証された事実が引用されて作られた記事はいつでも質が高く信頼できるのだろうか?
答えは「否」である.
その理由をいくつか挙げてみよう.
根拠になっている参照情報を改変して使っている
多くの書籍の文で引用されている研究は,一つ一つは一文借りてくる程度である.論文の結語や主要な研究結果を一言載せる程度だ.
根拠とする元情報を婉曲,または拡大解釈して引用していることも無くはない.
引用元を見てみると導かれた研究結果のほんの一部にも関わらず,本文中では様々なことが証明されたように記載されることもある.
例えば,コーヒーを飲んだ後に摂取した1割の人が計算力が向上したという結果を示す論文があるとしよう.
書籍の本文中では「コーヒーを摂取すると学力が大幅に向上したという結果が存在する」という記載の引用文献にになっていることがあるのだ.
これはかなり意図的な引用の仕方で,悪意があるといっても過言ではない.
引用元にも迷惑をかけているし,世間に適切でない情報を流していることになる.
導き出した結論の対する研究の質が低い
これは研究結果が,導き出された結論に対して証拠のレベルが低いことがあるという事である.
例えば,肉を大量に摂取する人はそうでない人よりも何かしらの病気にかかる人が多い,という研究結果があるとしよう.
この場合,この結果をもって「肉は体に悪い」という結論を信じるべきだろうか?
肉を大量に摂取する人はそもそも健康に気を使っていない人が多いかもしれないし,野菜をとっていない人が多いかもしれない.体重が重い人も多いだろう.
肉を大量に摂取する人達としない人たちでは,そもそも日常生活の送り方が違う可能性(バイアス)があるのだ.
これを統計の専門用語では交絡というが,研究結果に別の背景因子が影響を与えてしまう事を指す.
このように研究のデザインの質が低く,導かれた結論だけ声高々に主張するものも無くはない.
研究の質など考慮せず,自分の意見に都合がいいような結果を示す論文を引用文献として都合が良いと考える書籍の筆者も存在するだろう.
では,我々は書籍を読むたび,引用された論文を毎回さかのぼる必要があるのだろうか?
私見としては,自身が何かの専門家を目指すのでなければ,そのような行為は不要だとおもう.
大事なのは常に自分の考えを以って人の意見に触れる事である.
声の大きい第一人者やインフルエンサーの意見は説得力があるように感じるし,ましてやそれに根拠資料など提示されれば,人はそれが真実でなくともいとも簡単に騙されてしまうだろう.
そうはならないためにも,提示された情報が常識的に考えて妥当であるかはしっかり考えるようにしよう.
自分で考えて腑に落ちるならば,そのまま自身のものとすればいいし,そうでないなら,別の書籍を読んで確かめたり,人と話してみるのも悪くはないだろう.