他人の意見を参考にするときは,取り敢えず自分でも考えてみようか
人の意見は全く気にしないというのは難しい.
大勢の流行りや意見に自分が乗っていないと仲間外れになっていないか不安になったりする.
中学校は正にその入り口,洗礼を受けるような場所だ.
群れの中で自然と生まれるルールというか,見えないしきたりのようなものが自動的に出来上がり,同調できないものは仲間外れにされてしまうこともあり,自分を守るために本音を隠すこともある.
ゆず がクラスで流行っている時に,「いや,19 こそ至高なり」と主張するにはそれなりのクラス内カーストに位置しているか,己の学生生活を天秤にかける必要があった.
しかし,普段は周りに合わせるような生活をしていても,自分が人とは異なる意見を持つことを認識しているならば,真に自分のために重要な決断を下す際には正しい道を歩む意思と勇気を持てるだろう.
問題は自分の意思決定を完全に人に預けている場合である.
永遠の5歳児がぼーっと生きる人達をひたすら恫喝する番組があるが, まさに何となく人に流されて生きている人(もしくは自覚が無い人)は注意が必要だ.
ヒューリスティックという行動経済学用語がある.
これは人の意思決定は必ずしも論理的であることや参考にする情報が正確であることを重要視しないというものである.
例えば就活などで「説明会には私服でお越しください」と明記しているのに,同じ会に出席する意識高い友人の「我々は試されているのである.スーツを着ていくべき」,という言葉を真に受けスーツで出席してしまうような場合である.
明らかに企業からのオフィシャルな通知は信頼度が高いはずなのに,身近なよく知っている人の意見を人は重視することから起きる事柄だ.
これはテレビ番組や,芸能人の発言でも起こりうる.
時として,メディアやSNSから発信される情報は何の根拠もなく,個人の感想や考えであることがある.
しかし,人はこれらの情報が,あたかも何時でも真であると信じ込んでしまう習性があり,大勢が乗っかると世間の流れすらもおおきく変えてしまうのだ.
どんなに大規模な,綿密に計画された試験や研究で実証された事実および結果よりも,感情に訴える表現が濃厚な5分の動画で他人の意見は変ってしまう.
ニュース番組ですら,作り手の意向は必ず反映されているし,ネットニュースなど見出しはかなり誘導的なものが多い.
メディアやSNSからの発信を含め,情報や誰かの意見に触れるときは,自分の意見が無意識にコントロールされていないか,伝えられているメッセージは客観的に見て信頼できそうかなど注意して見るべきである.
さて,ここまであまり人の意見に流されないようにすべき,といった論調で進めてきたが,ヒューリスティックも上手く使えば意思決定を早くするのに役立つ.
例えば家電の購入の際に,流行りに乗って新商品を使いだすというのはあまり賢い選択ではないかもしれない.
しかし,売れ筋ランキングで上位が長い間続いている製品などは顧客の満足度が高いことの証ともいえるので,性能などを調べたり,他の製品と比べることなく選んでも,結果は大きく変わらないはずだ.
何が良くて製品が売れているのかわからないが,自分が家電に明るくないならいちいち勉強して製品比較するより,さっさと購入してしまった方が手間を含めてもコスパが良いだろう.
全ての行動に正確な情報が無くても,割り切って行動指針を明白にすればシンプルに行動できるし,自分が間違った道を進んでいても気づけるだろう.
この情報供給過多な時代において自分のために人生を歩むためには,己の意見をしっかり持つことが最重要事項ともいえるかもしれない.